研究テーマ1:ゆらぎと情報の定量生物学

小林研究室では、実験系研究者と連携しつつ、数理理論・定量的データ解析手法・画像解析技術・測定システムなどを構築して、どのように細胞システムがゆらぎに対して安定に振る舞い、またゆらぎの中からいかに情報を取り出し処理しているか、そのメカニズムを研究しています。
具体的に現在行っている研究としては以下のようなものが有ります:

発生における安定な形造りの研究

我々多細胞生物の体は、1つの細胞が分裂を繰り返して多様性を作り出しつつ、各細胞を適切な位置に配置することによって作り上げられています。この過程は発生と呼ばれており、生命科学の1つの大きなテーマになっています。また工学的に見ても、単純な状態である1細胞から、高い複雑さと組織性を持つ多細胞体が自律的に形成される過程は、非常に興味深い物でもあります。

発生現象全体は非常に複雑ですが、個々の過程は「分裂」、「分化」、「極性形成」、「分裂の方向付け」、「細胞の配置」などの基本的な現象によって構成されています。このうち「極性形成」、「分裂の方向付け」、「細胞の配置」などが発生の実現に重要な役割を果たします。
 他方で個々の構成要素挙動だけの理解は必ずしも発生現象全体の理解への十分条件ではありません。なぜなら各構成要素の挙動はある意味、物理化学的な解析の延長にあるような現象であり、発生現象全体の不思議さ/非自明さから比べると既存の枠組みだけで理解可能な範疇にあるように見えるからです。逆に発生をもっと大まかにとらえることも重要であると考えています。

現在小林研では新学術領域研究「ほ乳類初期発生の細胞コミュニティ」に参画して、ほ乳類初期胚がどのように空間的な構造を動的に作り出してゆくか、をイメージングデータの画像解析やデータ解析を介して解き明かしてゆくことを目指しています。特にほ乳類初期胚は発生過程において、胚ごとに高い多様性(ゆらぎ)を示すことが知られており、ゆらぎながらもいかにして空間構造を安定に作り出してゆくか?という本質的な問題にアプローチできる対象であると考えています。また同時に、画像解析による自動的な定量化が重要な対象でもあります。

細胞レベルでの情報処理の研究

定量的解析手法が成熟してきたことにより、初めて扱えるようになってきた問題に「情報」の問題があります。「情報」自体は物理的実体は有りません。力、エントロピーのように、あくまで定量的な量の関係の中で定義できるものです。もちろん情報の伝達を介在する物質は存在します。しかし入力物質のある/なしだけで生命や細胞の振る舞いが理解できないことはすでに明らかです。細胞現象のみならず、発生や免疫など様々な生命現象の背後には進化的なプロセスを経て「情報」を活用する、という構造が存在します。従って「情報」は定量的な解析を通してのみその本質が明らかになる現象だと思います。

しかし情報をどう解析すればいいのでしょうか?どう定量的にえられたデータを処理すれば情報が浮かび上がってくるのでしょうか?この問に答えるにはどうしても数理的な手法が必要です。我々は、細胞レベルでの「情報」というものを定性的かつ定量的にとらえるための数理的手法を開発しつつ、実験的な研究者と協力して生物の情報処理にとって本質的に何が重要なのかを解明してゆこうとしています。

生命が持つ時間の研究

我々の体内には24時間の時間を刻む概日リズム(体内時計)が存在する。この概日リズムは、細胞にとっての情報(ここでは時間)とは何なのか?という問題を扱うための非常に適した例でもあります。
例えば、我々の概日リズムは外界の光情報を受けとってその時刻を調整するという非常に高度な機能を持っています(あなたの腕時計はこのような機能を持っていますか?)。いかにして環境から「時刻」という情報を取り出し、それを内部に保持しているのか、その動的な原理はまだ完全には理解されていません。

「時間情報を取り出し、保持する」過程はある意味、生体内での時間という情報の恒常性を維持する機構とも捉えられます。実際このシステムは様々な入力を適切に処理し、我々の時刻を保つことができます。したがって、体内時計は生命の持つ高度な恒常性維持機構を調べる最適なシステムの一つであるともいえます。

我々はこれまで神戸理研の上田研(鵜飼博士・上田チームリーダー)と共同で概日リズムの振動が破綻する現象を細胞レベルで同定し、そのメカニズムを調べることに成功してきました。具体的には、真夜中に加えられた適度な強度を持つ光刺激によって、我々の概日リズムの時間情報の恒常性維持機構は破たんしリズムが止まってしまうSingularityという現象を、ほ乳類細胞レベルで調べることを行いました。

この現象を、細胞生物学的な方法論と、情報・数理の技術を組み合わせて解析することにより、時間の恒常性維持の破綻が我々の体に存在する無数の慨日時計細胞の間での位相情報の脱同調にあることを明らかになりました。
この研究から、我々が通常1つだと感じている体内時計は実は無数の時計の集合体によって構成されており、その同調・脱同調が我々の時間情報とその頑健性に大きな影響を与えるということがわかりました。
現在ではこのような知見を更に発展させた理論的な研究を進めています。

画像解析技術の開発

定量的な解析にどうしても必要となるため、我々は以下のうような画像解析開発も行っています:

  • 2Dでの細胞膜領域の同定:京都大学上村研との共同研究(対象ショウジョウバエの羽)
  • 2Dでの複数細胞の核同定と追跡:理研CDBとの共同研究(対象チキンの発生)
  • 3Dでの複数細胞の核同定と追跡:新学術領域研究(マウスの初期胚発生)
  • 2Dでの細胞膜上分子分布の定量化:理研CDB荒田博士との共同研究(線中の初期胚発生)

このような解析にはいわゆる画像解析における典型的な手法を用いていますが、最近ではより洗練された統計的な画像解析手法の導入を進めています。ただし今非常に重要だと思っている問題は、様々な形態で得られる画像についての情報(画像の輝度だけからわかる情報、人間がチェックしてわかる情報、生物的な知識からわかる情報、etc)などを、簡便かつ統一的に統合できる画像情報表現の構造に興味を持っています。

例えば確かに統計的な画像解析手法はうまくモデルなどの条件を設定できると非常に強力ですが、一般の生体画像ではそれでもエラー率を0にすることは不可能で様々なほかの情報を追加で加え精度を上げてゆきます。それは新規画像解析手法の開発、という面で言えばよけいな作業ですが、実際にデータを解析するには不可欠です。しかし一般にこういう使い情報をうまく解析手法に取り入れるのは難しいことが多く、それが望ましい解析結果を得る、という過程全体の大きなボトルネックになっていると思っています。

したがって、様々な形態の情報を自在にかつ統一的に扱えるデータ構造を数理的にうまく作ることがこの分野の大きなブレイクスルーになると考えています。

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